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日記ですかね・・・
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さる12月12日に母が他界しました
その日私は買い物の為、中野に行っていました 買い物帰りに新宿の中央線ホームで電車を待ってると 携帯電話に甥から着信が有りました 「おばあさんが亡くなりました」と涙声での電話 とりあえず「連絡有難う」と 返事をして急いで電車に乗りました 糖尿病から、心筋梗塞になり動脈のバイパス手術をして、血糖値が芳しくなく 血液を硬貨させない薬を投与することが出来ずに脳梗塞になり左半身不随の 状態で4年間介護生活をしていました 春に帰ったときは、不自由ながら何とか会話はできました、車椅子の生活になるので父は長年住んでいた家を売り、バリアフリーのマンションを購入しました。前の家は門から玄関までに階段が有ったので車椅子では不便だと決断したようです。母はマンションを嫌っていましたが自分の現状を考えて仕方なく受け入れたようです 夏に帰った時は、少し認知症が 出ていましたが私を認識してくれました 最後に会ったのは11月 病院で入院治療していました 腎臓の機能が低下していて人工透析 していたのですが、透析に耐えれる体力もなく延命治療もできない状態でした この時は言葉も 喋れずにただ手を握るだけでした 家族の願いは11月20日が誕生日なのでそれまでなんとか生き延びて欲しいの一言でした 遠くに離れて住んでいるので介護に協力があまり出来なかったことを後悔しています 近親者のみでの密葬との形で通夜、葬儀を行いました 久しく会った親戚も多く集まってくれた人に皆感謝しました 喪主は父ですが、挨拶の中でも涙を流して挨拶にならない状態が続いたので交代して挨拶を済ませる 場面もありました 親戚や母の友人は皆泣いていたのですが何故か私は涙が出ませんでした 最後に母の棺に花を添える時に「生んでくれて有難う」と声を掛けました 死亡届の中の死因を見ると心不全となっていました 死に顔も穏やかで苦しみの表情ひとつありませんでした 和服の仕事を長年していたので、綺麗な着物を着て空に向かいました 年が明けると四十九日の法要があります 父は母の為に立派な祭壇を注文しました 実家の墓は豪雪地帯に有るので、冬は納骨することが出来ません 春に納骨する予定です それまでは家族の元で安らかに眠って下さい PR
無題
毎日お世話になっているにもかかわらず、大変な時に何のお手伝いも出来なかったことがとても悔やまれます。謹んでご冥福をお祈り致します。
Re:無題
>毎日お世話になっているにもかかわらず、大変な時に何のお手伝いも出来なかったことがとても悔やまれます。謹んでご冥福をお祈り致します。
無題
お気遣い有難うございます。
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